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13日に、毎年恒例の「湯島天神詣で」を終えた。
もう35年も続いている新春行事。我が身にとっては稀有なことである。 事の始めは、生まれたばかりの赤子を抱いての初参り。 九州出身の僕にとって「太宰府天満宮」が心のよりどころであるが故に、事あるごとに湯島天神へ。 ささやかなアイデンティティである。そして、今日も空は青く澄みわたっている。 昨日の夜、「今年」を模索しつつ独りで酒をのんだ。冷蔵庫にあった数の子となますを摘みにしつつ、正月を締めくくった。 この年末・年始には、良きことが頻発したなあ〜。 まず、幾人もの友人が我が家を訪れてくれた。そして版画の本やワインや花や「スペインにプチホテルをつくった」というニュースなどをプレゼントしてくれた。 行動力と体力を損ねている僕にとって、なんとも嬉しいことである。 次に、親しい友の家の近くに大白鳥が飛来した。悠々と泳ぐ四羽の白鳥、友人は見に行くと言っていた。なんだか余計に身近に感じられるのだ。 もっとも上等な出来事は「漁師15時間の立ち泳ぎで生還!」である。 場所は沖縄・下地島。宮古島から海上タクシーで30分、伊良部島と接した小さな島だ。 ここは僕にとってここ数年来の通い場所。畑と道と海しかないなんとも素朴な島。数日間をただボ〜ッとして過ごすに最適の場所なのである。 集落にある小さなスーパーに食材を求め、砂浜で紺碧の海を眺めながらの食事作り。「海水しゃぶしゃぶ」や「海水ゆで卵」はここで創りだした逸品料理である。時間をもてあましたら、漁港で魚を買い刺身にしたり、スケッチをしたり、礒へ自転車で出かけて潜ったり、夜は蛍を探しに出かけたり…。僕にとって最高の時間を与えてくれる場所である。 おっと、話題は「15時間立ち泳ぎ」、本題に戻ろう。 『6日午前…宮古島市・下地島の北西約1.5キロの海上で、同市伊良部漁協所属の漁船「福和丸」が転覆…。福和丸の西側約500メートルを泳いでいた船長を救助した。 …船長は5日午後8時頃に波で転覆して海に放り出され、ずっと立ち泳ぎしていた。…船長は救命胴衣をつけていなかったうえ、潜水病のため両足が不自由だったが、両手だけで立ち泳ぎ続け助けを待っていた。』※ ![]() 凄いではないか!あそこの海で! おお、上等じゃないか!目出度い事さあ〜! 「一言ニュース」で見つけたこの話題、宮古島では大騒ぎだろうと思ったら、案の定トップ記事である。 さあ、新しい年が動き始めたぞ。僕も、ムーブ!ムーブ!ムーブッ! ※参考資料 ①IBTimes:一般抜粋 ②宮古毎日新聞ホームページ
淡々と映像が流れてゆく。
空に浮かぶ雲、樹林の中の原っぱ、花の咲き乱れる庭、枯れ梢の震え、深い雪の森。 エンディングテロップに重なる風景のスナップショット。 ……静かで優しい時間の余韻に浸る。 脳裏には、自分がかつて見た“時の風景”が次々と浮かんでくる。 光りの彩や気温や湿度、風の流れや匂い、透き通ってしまった音、聞こえることのない声、居合わせて人が緩やかに動く…。 その記憶された景色の中には、“あの刻”が鮮明に刻まれている。 今日は2008年大晦日。今年一年なにをしたか、あいまいとした記憶しかない。 にもかかわらず、蘇り続ける景色は突然、遙かな時の彼方からやってくる。 あの時の心の震えまで再現するかのような、記憶の鮮明な輪郭と圧倒的な存在感。 「ああ、あの景色だ。あの時、あそこに居たんだ。」というなんと確かな手触り。 これさえあれば、またやって行けそうだ、と思う。 《「……俺がどこまでも俺である限り、足すものは、ない。引くものも」そうなのだ。…「このままで、いい」》 ※ 明日から2009年、なにも変わらないだろう。なにかが変わるだろう。 きっと大丈夫さあ。ぼちぼちと明日へ行こう。あばよ!2008年。 ![]() ※引用資料 山田深夜『千マイルブルース』 幻冬社刊
クリスマスの夜、我が家のテレビを消した。
ロマンティックな出来事からではないのが、いささか残念だが。 文字通り、静かな夜が還ってきた。 食事の味わいをゆっくりと確かめつつ、この1年の来し方行く末を連れあいと話し込んだ。 それから不忍通りを走る車の音を聞きつつ、文庫本を開いて夜の長い時間を過ごした。 テレビを消した理由は簡単である。 年末・年始特有の(そうでもないか、日常的か)、特番と称する長時間垂れ流しの番組しか放送されていないからだ。 ショウもない映像と会話が、垂れ流しの如くに続く醜悪な特番というやつ。 30分、1時間の刻みもなく、数時間にわたって、放映が繰り返される。それは不気味ですらある。テレビを見ている方も、気になるタイトルがあっても、その時間中見続けるしかない。 すでにテレビは「見る」ものではなく、点けっぱなしのバックグラウンドノイズになってしまっているのか。 “貴方を掴んで離さない”としたり顔のメディアとクライアント。番組選択の余地すら奪われてしまった視聴者。 これはもう、テレビを消すしかない。 しかし、である。ニュースだけはよく見てしまう。ニュースの大御所と言えばNHK。これが致命的に良くないのは、同じ報道映像をどの時間でもオウムのように繰り返すこと。そこで、頻繁にチャンネルを切り替えながらニュースをみるのだ。 ところが!である。このNHKの7時台のニュースが、高視聴率をとっているとのこと。そこで各局とも二匹目のドジョウ、噂では、民放各社でゴールデンタイムに2時間の報道番組が組まれるという。 しかしだ。長時間と聞いただけで、いわゆるワイドショーを思い浮かべてしまう。 イメージ映像をこれでもかと挿入した報道番組、これはもう大政翼賛会である。 さて、これからの年末年始10日間余り、のべつくまなく特番と称されるものがテレビから流れ続けるであろう。ひょっとすると1年前に制作録画されたような番組だらけ。宴会の瞬間芸でしかないようなパホーマンスで、ひな壇に列びはしゃぎまくるお笑い芸人達(芸などないのだからお笑いタレントで十分だと思うが)だらけになるのだろう。 たとえ一視聴者であれ、マスコミやメディアに対して異議申し立ての時季を迎えているのではないか。あまりに酷すぎる特番と称する手抜き・垂れ流しの番組内容。もう沢山だ。 年末年始、我が家は断固としてテレビを消す。もちろん、目ざとい良質な番組が在れば別だが。あってほしいよなあ〜。
「さあ、行きましょ。思い立ったが潮時、行き時!」
所用から戻ってきた連れあいが、服も着替えずに言う。 天気もいいし、まだ昼間。いざ、念願を果たすべし。 我が家近くの停留所から『浅草雷門』行きのバスに乗った。 そう、三の酉、浅草・千束の鷲神社へ行くのだ。 バスは満員、運賃を入れる箱から硬貨がはみ出し、運転手は「次回に払ってください」という。なんともはや、さいさきの良きこと。 池袋と浅草雷門を結ぶこのバス路線は都内でも長距離。 池袋・巣鴨・団子坂下・根津・道灌山下・西日暮里・三ノ輪・竜泉、そして浅草雷門。趣のある街を辿りつつの車窓見学もまた愉し。 神泉で乗客がどっと降りる。我々も下車。屋台が並ぶ道は人、人、人…。どうにか境内に入り込む。列んでやっとの参拝。来る時のバス運賃をお賽銭にして投げ込む。 念願達成に安堵しつつ、さっそく熊手の店子巡り。幾通りもの狭い通路に縦横無尽に店子が列ぶ。その居ずまいには、そことなく威厳があり格式を感じさせる。境内には屋台が一軒もない。酉の市そのものが凝縮されている感じ、さすが浅草だ。 熊手のトンネルを抜けると、またまた人の列。びっしりとした参拝客の流れで身動きがとれないほどだ。「拝処がふたつあるのかな?」とも思う。流れに逆らって出ようとすると、向こうから来たおばさんが「こっちには出口はないよ、あたしらも戻ってきたんだから」と言う。なにか変だな? あとで判った。われわれがお参りしたのは酉の寺、今目の前にあるのが鷲神社。 お寺で柏手を打ってしまっていたのだ!本家本元には列外からの参拝! なんともはや、田舎者丸出し、お上りさんそのもの!こっぱずかしいことったらありゃしね〜! てなわけで少々意気消沈してたら、熊手の『吉田屋』が目の前に。飾りのすべてが手書き手作り、味わいのある熊手の風情が漂っている。伝統在る有名な店子である。 これ!これ!とばかりに、店のお兄さんに、いちばん小さな熊手の値段を聞いてみる。手が届く!と思った瞬間に「お客さん、あいにくともう名入れでご祝儀も頂いておりますので…」と小声でささやく。 店の番台に端座した女将さんがこちらを向いて、にっこりと微笑みながら言う。「ごめんなさいね、来年、朝一番にお出でなさいな」 ぴんと背筋を伸ばし座した和服姿の女将さん、威厳と風格と気品の充ちた風情に、こちらも姿勢を正す。さすが浅草だなあ〜!! よ〜し!来年は朝一番に必ず来よう!一番小さい熊手から始めよう! 目標ができた。女将さんの一言で明るい気持になれた、じつにすがすがしい気分だ。 いざ帰りなん、とばかりに大通りを渡ると宅配センターの中の人の動きが目にとまった。“浅草酉の市”と書かれた大きな段ボール箱、次々と詰められる熊手…。「これだあ」とばかりに段ボール箱を手に入れた。酉の市の江戸文字、相撲の巡業行李のような形、箱の横から出た熊手の柄は飛脚便の風情。なかなかやるではないか、佐川急便さん!我が家へ辿り着いた時はもはや夕暮れ、へとへと。さっそく一献を頂く。 こっぱずかしい思いもしたけど、本家詣での念願がかなった。 いやあ〜、なんともはや良き三の酉だったこと。 来る年には、熊手で『開運招福』をかき集め、いっぱい酉の市箱へおさめよう。 筑紫哲也氏が亡くなった。 今日の夕方、何気なく眺めていたテレビのテロップに「筑紫哲也氏、死去」文字が流れた。 ハッとした。「大切な何かが、静かに“消滅”した」と即座に感じた。 テレビに彼が出てから20年余り、当初から日常生活の中にあり続けていた存在、考えるもなく普段に呼吸する空気のようなもの、だったのだろう。 それくらい、無条件に溶け込んでいた彼の存在と発言の数々…。 やがてそれは、見えなくなりスウーっと消滅した。 自分であり続けることを、忽せにしなかった彼の生き様。 ジャーナリストという枠組みを遙かに超えて、人様の在りよう、というものをいつも明快に示してくれた。 そのひとつは「知的文化」だった、と思う。 《私が驚かされたのは…「文化の位置」であった。…最大のものはその社会と人々の中に占める文化の比重だと私は思う。…もし私たちの国が滅びるとすれば主因もそこに帰する。》 ※部分引用『筑紫哲也の「世・世・世」Ⅰ』沖縄タイムス社刊 世界が激動の渦中にある昨今(いや今や、人々の心の中では、すでに変化が始まっている)、瞬時にして徒手空拳たらざるを得なくなってしまいそうな自分がどこかにいることを、この消滅の瞬間に感じている。 ■■■■ ■■■■ 静かなる消滅、静かに合掌。 ■■■■
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