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15日間にわたった“お勤め”を終え、無事放免となった僕はオートバイ置き場へ急いだ。
今回もまた相棒をつとめてくれたスクーターにまたがり、エンジンキーを回した。 待ってましたとばかりにエンジンの心地よい音が響き渡った。 いざ、我が家へ帰ろう!連れあいは荷物を持って先にタクシーで門を出た。僕もその後へ続く。 わずか10m程で交差点、左折のウインカーを出し曲がろうとしたが、正面から右折のタクシーが来た。曲がりかけた途中で止まっていると、信号は赤に変わってしまった。 いかんせん中途半端、しかし久しぶりなので安全第一。そのままの態勢で待つことにした。 すぐ横には、なんと残念なことに交番がある。 チラッと目をやると、いやあ〜!立ち上がりましたね、若い警官が! そして外にでてきましたね、赤い警告棒燈を試し振りするかのような仕草をしながら! 歩行者信号が変わり、斜め横の信号が青に。この後我が車線が青になるはず。 スックと背筋を伸ばした若い警官は、道路脇へと進み、二度三度警告棒燈をたたいている。 嬉しそうな表情を隠そうともせず、ワクワク感いっぱいの顔つきだ。 「来るな!いよいよ!」信号が青に変わった。発進する。 「はい、そこのスクーター、停車して!」涼しげな顔で凛として言う。 警告棒燈が振られる。もう後は想像通りだ。 「はい、免許証見せて」「どこ行くの」… 「いやあ、退院で家に帰るところです」 「どこの病院?」「すぐ後ろの病院ですよ」「あ、そう」 とってつけたように「シルバーのスクーターでひったくりがあってね」 言い終わると若い警官は満足顔で交番の中へ戻っていった。 てな訳で、娑婆復帰の最初の明かりは、警告棒燈の赤い光りだったのですよ。
ゴールデンウイークたけなわの五月四日、思いたつところあって旅に出た。
釣り竿と写生道具おのおの一式、それに買ったばかりのデジタル一眼レフを携えての旅。 目指すはもちろん沖縄!だ。 三泊四日、交通費から宿泊費まですべて含めて二人で五万円! もちろんパック旅行ではない。自分たちの計画にあわせた旅である。 信じられないほどの超格安の旅。偶然に偶然が重なりGW最中の旅立ち。 これもひとえに、日頃のおこないのせいだろうか!? ただひとつだけ、大きなハンディがあった。 無養生が災いしたのか、歳のせいなのか、動悸・息切れで歩行がままならぬのだ。 500m程歩いてひと休み、また500m歩いてはひと休み、この繰り返し。 旅行荷物も、ザックをキャスターに縛り付けて引いてゆくお粗末ブリ。 それでも、沖縄の旅ができたのだ!! まずは我が家の玄関口からタクシーに乗って、池袋のプリンスホテル前へ。ロビーで待ち羽田空港行きのリムジンバスへ。空港に着くと出発口が目の前に。搭乗手続きを済ませて飛行機の中へ。ここが一番歩いたところで息切れした。 着いたところは沖縄・那覇空港。“動く歩道”を使って外へでる。再びキャスターを引きずりモノレールの駅へ。ここも距離があったな、ベンチぐらい配置しておけよ!駅からエレベーターで地上に降りて、タクシーで宿の玄関口へ到着。 ちなみに500mはほぼ1千歩、我が家から沖縄の宿までおよそ三千歩!! 骨皮筋ェ門の我が輩、無事に沖縄の人となったのである。 四日間の宿は「沖縄船員会館」もちろん同じ部屋に連泊だ。宿賃は一泊三千円ちょいの我らご愛用の宿。 窓のすぐ前は泊港、汽笛の音で目覚め、窓から海を眺めては日永を過ごし、卓袱台を出しスーパーで買ってきたお総菜を並べて、汽笛を聞きながら夜の宴会へ。我らは外食・外飲ができないので、これで十分・大満足だ。 かくして沖縄・那覇の第一夜が更けていったのである。 ![]() 翌日からは、宿の前でタクシーを拾い、美術館やら本屋やら訪ねたかった場所へ直行。沖縄のタクシーは初乗り450円、ちょっと歩いているだけでタクシーがすり寄ってくる。ちょっとの距離でも快く行ってくれるので、沖縄のオバーたちはこれを愛用。我らもおおいにその恩恵にあずかった訳である。 昼間はもっぱら公園の木陰の芝生に寝転がり読書三昧。 昼ご飯や早めの夕ご飯は、やっぱり公園の芝生のうえで。スーパーで買ってきたビールや出来たて・ホカホカの総菜を並べて頂く。それはもうピクニック気分。 帰りもまたタクシーで宿の真ん前へ。宿が中心街近くなので、ほとんどが初乗り料金+αで済んでしまうのだ。 大快晴のお天気のなか、爽やかな海風に吹かれて過ごした沖縄の四日間。 防波堤で眺めた花火大会、中を見学させて貰った20人乗りの素晴らしいクルーズ船、稀有な書籍をたくさん購入できた本屋巡り、無事と感謝を祈ることのできたボクの聖地…。なんと心豊かな旅だったことか。 こうして、片道三千歩で往き来できた沖縄の旅が終わった。 もちろん、またゆくぞ〜!! ![]()
開かずの踏切、変わらずの放浪者ブログ?!
これまた同じく、何をしたでもなく、漫然として四月が終わった。 そして五月の連休、かつては大勢の仲間達とバイクを繰った季節だ。 ここ数年は加齢休業。澄みわたった都心の空を眺めつつ、「ああ、東京は地方出身者によって動いている街だ」としみじみ思う日々。 金無し、暇あり、体力無しの、無精三本立てゆえ、もっぱら読書に励む。 先月は6冊を読破した。もちろん硬軟・強弱・遅速を織り交ぜてのことだ。 ◎ぐいぐい読んだ本 『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』 佐野眞一・集英社 (分厚い書籍も関わらず一気通読。ありきたりの沖縄論など蹴散らされてしまうのが痛快。そうだ!そうだ!となんどうなずいたことか。佐野眞一らしい入念な取材に裏打ちされてこその展開、凄い数の巻末の主要参考文献が希少価値あり。それにしても佐野眞一のドキュメントはどれをとってもいいな。) 『獄中記』 佐藤優・岩波現代文庫 (ボクは引っ掛かりのあるテーマや作者の本を。片っ端から読んでゆく、というパラノイア的偏向癖がある。佐藤優の書いた本はこれで6冊目、対向読みや穿ち読みを含めて、どの本も考えさせられる指摘にあふれていた。とりわけ現代日本の政治権力抗争についての記述は、これはちと考え直さねば、との含蓄に富んでいる。と同時に、この本に限って言えば、著者がふれる数々の書物や拘置所内での過ごし方や気分の移などが、遠い昔の自分と重なりあうところがあって、おおいに発奮させられた。本棚にある古い本を引っ張り出してきて、もっともっと読み返さなくてはいかんなあ〜。) 『Op.ローズダスト 上・中・下巻』 福井晴敏・文藝春秋文庫 (彼の本はほとんどを読んでいるが、この3冊は文庫化をきっかけにして、一気に再読した。なにしろ巧い!文章力・発想力・構成力、とりわけ文章展開の上手さには惚れ惚れする。的確な語彙でぐいぐいと書き及んでゆく手際は氏の独壇場。ローズダストという7人の若いテロリストを基軸に、警察・自衛隊・政治家・経済人が絡みあってゆくストーリーだが、日本の権力装置と情報戦への言及が心憎いほど散りばめられている。フィクションにもかかわらず“そう言えば”と随所で思わず膝を打つのもうっぷん晴らしか。) ◎サクサクと読んだ本 『権力の影』 ジェームス・パーロフ・徳間書店 (いわゆる国際陰謀の暴露本か、とおもいつつ読んだ。ところがどっこい、世界同時不況に揺れる今日を読み明かすヒントがいっぱい。アメリカの世界操作力をCFR=アメリカ外交評議会を軸にして展開される内容は、現代世界政治とは何かの一端を感じさせてくれた。) 『高城高全集4 風の岬』 高城高・全4巻・創元推理文庫 (最初は表紙カバーの写真に惹かれて購入してみたのだが、とうとう4巻目。ハードボイルドファンの間ではよく知られた作者だそうだ。どの巻・どの物語も面白い。昭和30年代〜40年代の作品は、いずれも小気味よい文章・文体でぐいぐい引き込まれてゆく。時代背景など古さを感じさせることもなく、じつに爽快な気分転換をもたらしてくれた本だ。) 『スクランブル 要撃の妖精』 夏見正隆・徳間文庫 (ボクは飛行機プラモデルが大好き。よって飛行機が主題の本にはついつい手がでる。本書は以前読んだシリーズ本の二冊目だ。うん、やっぱり面白い。何も考えずすらすらと読んでゆける。航空機・イーグルや航空戦の描写は迫力満点。読後、ついついプラモデルも買ってしまった。) こうして毎日読書三昧、乱読三昧。よお〜し、もう一冊ゆくか!
…自動車の警笛が数度、鳴らされるのが聞こえてきた。
おそらく今が11時半なのだろう。母が電話で何度も念をおしていた時刻だ。 家財道具を送りだしがらんとした家の外へ出た。白い坂道が続いていた。 食べた後に播き捨てられた貝殻が、道一面を被っているせいだ。 歩く度に砕かれた貝殻は、ジャリッジャリッと音をさせた。 僕は、後ろは向かないことに決めていた。 坂道のてっぺんに、黒い自動車がドアをあけたまま止まっていた。 ぼってりとしたダットサン型、その形が妙によそよそしく見えた。 坂道を上りながら、母と三人の子供は手を繋いだ。そして自動車に乗り込んだ。 その自動車は、生まれて初めて乗るタクシーだった。 発車してから駅までの間、僕はずっと横窓から街を眺め続けた。そして大牟田駅についた。 すべてがスローモーションのように思えていた。 鹿児島本線大牟田駅、午後1時15分。「はやぶさ」が動き出した。 「とうとう抜け出せるんだ」憑かれたように僕は呟き続けた。 小学校6年3学期、僕ら一家は「はやぶさ」という列車で、大牟田を、そして九州を出た。 「はやぶさ」は東京へ向かっていた。目指すのは、やがて住む千葉県のM市だった。… それはもう何十年も昔のことだ。 しかし、つい昨日のことのようにハッキリと覚えている。 僕を連れ出してくれた寝台特急「はやぶさ」。その運行が、今日で終わるという。 最終便が今、岡山あたりを走っている、と先ほどのニュースで言っていた。 この事態をきっかけとして、僕の中に幾許かの思い出が蘇ってきたわけである。 「はやぶさ」ファイナル、ごきげんよう!
一月もあっという間に終わりだ。
つい先日、自分のそばに居てくれる人たちの有難味を身に沁みて感じつつ、誕生日を迎えた。一年以上に渡って続いた苦い闘いにも終止符が打てた。しんたいてきじょうきょうもに対しての覚悟もほぼ出来上がった……。 わずか一ヶ月の間の変化は、いかんとも大きいものだ。 これが営みの時間なのだろうか?! さらに、月末の今日、購読新聞を変えた。 15年以上に渡って読み続けた日経新聞の購読を止めたのだ。 併読していた朝日新聞が「スポーツアサヒ」化してゆき、まず止めた。 日経新聞は、記事扱いのオーソドックスな公平さと、文化欄の質の高さに惹かれ読み続けてきた。それ故止めるのはいささか残念でもある。 原因は簡単なことだ。今日、朝刊が届いていなかった。 販売店に「夕刊と一緒でいいから届けて」と伝えた。 夕刊が届いた時、朝刊はまた無かった。また販売店に電話した。 チーフと名乗る同じ人が出た。「配達員が戻ってきたら、届けさせますから」と言った。 普通だったら「いや、私がこれから届けますから」と最初の電話で言うはずだろう。「申し訳ありません、すぐに私が持ってゆきます」と二度目の電話で言うはずだろう。 なんとも横柄ともいえる対応、色褪せた商品を店先に並べる、傷んだ商品を平気で渡す……、それでも対応は“売ってやる”そのものなのだ。 こうした傾向は、私の生活する文京区内の商店にほぼ共通して顕著に感じられる。私はこれを「文京商売」と呼んでいる。 おっと、話題が逸れた。新聞の話なのだ。 次に購読するのは「東京新聞」である。 ある年齢層の方は記憶にあると思うが、同紙が素晴らしい記事を書き続けていた時期があった。その伝統はささやかであるが、今でも脈々と続いているようだ。センセーショナルではなくオーソドックスで公平な報道記事の扱い、平凡を排しこだわりのある文化欄……。だから「東京新聞」に決めたのだ。しばらく付き合ってみよう。 沖縄支局ができ、沖縄の記事が増えた日経新聞には未練たらたら、ではあるが。 親しい友人から沖縄の野菜が山ほど届いた。また行くぞ、沖縄。待ってろよォ〜。 ![]()
13日に、毎年恒例の「湯島天神詣で」を終えた。
もう35年も続いている新春行事。我が身にとっては稀有なことである。 事の始めは、生まれたばかりの赤子を抱いての初参り。 九州出身の僕にとって「太宰府天満宮」が心のよりどころであるが故に、事あるごとに湯島天神へ。 ささやかなアイデンティティである。そして、今日も空は青く澄みわたっている。 昨日の夜、「今年」を模索しつつ独りで酒をのんだ。冷蔵庫にあった数の子となますを摘みにしつつ、正月を締めくくった。 この年末・年始には、良きことが頻発したなあ〜。 まず、幾人もの友人が我が家を訪れてくれた。そして版画の本やワインや花や「スペインにプチホテルをつくった」というニュースなどをプレゼントしてくれた。 行動力と体力を損ねている僕にとって、なんとも嬉しいことである。 次に、親しい友の家の近くに大白鳥が飛来した。悠々と泳ぐ四羽の白鳥、友人は見に行くと言っていた。なんだか余計に身近に感じられるのだ。 もっとも上等な出来事は「漁師15時間の立ち泳ぎで生還!」である。 場所は沖縄・下地島。宮古島から海上タクシーで30分、伊良部島と接した小さな島だ。 ここは僕にとってここ数年来の通い場所。畑と道と海しかないなんとも素朴な島。数日間をただボ〜ッとして過ごすに最適の場所なのである。 集落にある小さなスーパーに食材を求め、砂浜で紺碧の海を眺めながらの食事作り。「海水しゃぶしゃぶ」や「海水ゆで卵」はここで創りだした逸品料理である。時間をもてあましたら、漁港で魚を買い刺身にしたり、スケッチをしたり、礒へ自転車で出かけて潜ったり、夜は蛍を探しに出かけたり…。僕にとって最高の時間を与えてくれる場所である。 おっと、話題は「15時間立ち泳ぎ」、本題に戻ろう。 『6日午前…宮古島市・下地島の北西約1.5キロの海上で、同市伊良部漁協所属の漁船「福和丸」が転覆…。福和丸の西側約500メートルを泳いでいた船長を救助した。 …船長は5日午後8時頃に波で転覆して海に放り出され、ずっと立ち泳ぎしていた。…船長は救命胴衣をつけていなかったうえ、潜水病のため両足が不自由だったが、両手だけで立ち泳ぎ続け助けを待っていた。』※ ![]() 凄いではないか!あそこの海で! おお、上等じゃないか!目出度い事さあ〜! 「一言ニュース」で見つけたこの話題、宮古島では大騒ぎだろうと思ったら、案の定トップ記事である。 さあ、新しい年が動き始めたぞ。僕も、ムーブ!ムーブ!ムーブッ! ※参考資料 ①IBTimes:一般抜粋 ②宮古毎日新聞ホームページ
淡々と映像が流れてゆく。
空に浮かぶ雲、樹林の中の原っぱ、花の咲き乱れる庭、枯れ梢の震え、深い雪の森。 エンディングテロップに重なる風景のスナップショット。 ……静かで優しい時間の余韻に浸る。 脳裏には、自分がかつて見た“時の風景”が次々と浮かんでくる。 光りの彩や気温や湿度、風の流れや匂い、透き通ってしまった音、聞こえることのない声、居合わせて人が緩やかに動く…。 その記憶された景色の中には、“あの刻”が鮮明に刻まれている。 今日は2008年大晦日。今年一年なにをしたか、あいまいとした記憶しかない。 にもかかわらず、蘇り続ける景色は突然、遙かな時の彼方からやってくる。 あの時の心の震えまで再現するかのような、記憶の鮮明な輪郭と圧倒的な存在感。 「ああ、あの景色だ。あの時、あそこに居たんだ。」というなんと確かな手触り。 これさえあれば、またやって行けそうだ、と思う。 《「……俺がどこまでも俺である限り、足すものは、ない。引くものも」そうなのだ。…「このままで、いい」》 ※ 明日から2009年、なにも変わらないだろう。なにかが変わるだろう。 きっと大丈夫さあ。ぼちぼちと明日へ行こう。あばよ!2008年。 ![]() ※引用資料 山田深夜『千マイルブルース』 幻冬社刊
クリスマスの夜、我が家のテレビを消した。
ロマンティックな出来事からではないのが、いささか残念だが。 文字通り、静かな夜が還ってきた。 食事の味わいをゆっくりと確かめつつ、この1年の来し方行く末を連れあいと話し込んだ。 それから不忍通りを走る車の音を聞きつつ、文庫本を開いて夜の長い時間を過ごした。 テレビを消した理由は簡単である。 年末・年始特有の(そうでもないか、日常的か)、特番と称する長時間垂れ流しの番組しか放送されていないからだ。 ショウもない映像と会話が、垂れ流しの如くに続く醜悪な特番というやつ。 30分、1時間の刻みもなく、数時間にわたって、放映が繰り返される。それは不気味ですらある。テレビを見ている方も、気になるタイトルがあっても、その時間中見続けるしかない。 すでにテレビは「見る」ものではなく、点けっぱなしのバックグラウンドノイズになってしまっているのか。 “貴方を掴んで離さない”としたり顔のメディアとクライアント。番組選択の余地すら奪われてしまった視聴者。 これはもう、テレビを消すしかない。 しかし、である。ニュースだけはよく見てしまう。ニュースの大御所と言えばNHK。これが致命的に良くないのは、同じ報道映像をどの時間でもオウムのように繰り返すこと。そこで、頻繁にチャンネルを切り替えながらニュースをみるのだ。 ところが!である。このNHKの7時台のニュースが、高視聴率をとっているとのこと。そこで各局とも二匹目のドジョウ、噂では、民放各社でゴールデンタイムに2時間の報道番組が組まれるという。 しかしだ。長時間と聞いただけで、いわゆるワイドショーを思い浮かべてしまう。 イメージ映像をこれでもかと挿入した報道番組、これはもう大政翼賛会である。 さて、これからの年末年始10日間余り、のべつくまなく特番と称されるものがテレビから流れ続けるであろう。ひょっとすると1年前に制作録画されたような番組だらけ。宴会の瞬間芸でしかないようなパホーマンスで、ひな壇に列びはしゃぎまくるお笑い芸人達(芸などないのだからお笑いタレントで十分だと思うが)だらけになるのだろう。 たとえ一視聴者であれ、マスコミやメディアに対して異議申し立ての時季を迎えているのではないか。あまりに酷すぎる特番と称する手抜き・垂れ流しの番組内容。もう沢山だ。 年末年始、我が家は断固としてテレビを消す。もちろん、目ざとい良質な番組が在れば別だが。あってほしいよなあ〜。
「さあ、行きましょ。思い立ったが潮時、行き時!」
所用から戻ってきた連れあいが、服も着替えずに言う。 天気もいいし、まだ昼間。いざ、念願を果たすべし。 我が家近くの停留所から『浅草雷門』行きのバスに乗った。 そう、三の酉、浅草・千束の鷲神社へ行くのだ。 バスは満員、運賃を入れる箱から硬貨がはみ出し、運転手は「次回に払ってください」という。なんともはや、さいさきの良きこと。 池袋と浅草雷門を結ぶこのバス路線は都内でも長距離。 池袋・巣鴨・団子坂下・根津・道灌山下・西日暮里・三ノ輪・竜泉、そして浅草雷門。趣のある街を辿りつつの車窓見学もまた愉し。 神泉で乗客がどっと降りる。我々も下車。屋台が並ぶ道は人、人、人…。どうにか境内に入り込む。列んでやっとの参拝。来る時のバス運賃をお賽銭にして投げ込む。 念願達成に安堵しつつ、さっそく熊手の店子巡り。幾通りもの狭い通路に縦横無尽に店子が列ぶ。その居ずまいには、そことなく威厳があり格式を感じさせる。境内には屋台が一軒もない。酉の市そのものが凝縮されている感じ、さすが浅草だ。 熊手のトンネルを抜けると、またまた人の列。びっしりとした参拝客の流れで身動きがとれないほどだ。「拝処がふたつあるのかな?」とも思う。流れに逆らって出ようとすると、向こうから来たおばさんが「こっちには出口はないよ、あたしらも戻ってきたんだから」と言う。なにか変だな? あとで判った。われわれがお参りしたのは酉の寺、今目の前にあるのが鷲神社。 お寺で柏手を打ってしまっていたのだ!本家本元には列外からの参拝! なんともはや、田舎者丸出し、お上りさんそのもの!こっぱずかしいことったらありゃしね〜! てなわけで少々意気消沈してたら、熊手の『吉田屋』が目の前に。飾りのすべてが手書き手作り、味わいのある熊手の風情が漂っている。伝統在る有名な店子である。 これ!これ!とばかりに、店のお兄さんに、いちばん小さな熊手の値段を聞いてみる。手が届く!と思った瞬間に「お客さん、あいにくともう名入れでご祝儀も頂いておりますので…」と小声でささやく。 店の番台に端座した女将さんがこちらを向いて、にっこりと微笑みながら言う。「ごめんなさいね、来年、朝一番にお出でなさいな」 ぴんと背筋を伸ばし座した和服姿の女将さん、威厳と風格と気品の充ちた風情に、こちらも姿勢を正す。さすが浅草だなあ〜!! よ〜し!来年は朝一番に必ず来よう!一番小さい熊手から始めよう! 目標ができた。女将さんの一言で明るい気持になれた、じつにすがすがしい気分だ。 いざ帰りなん、とばかりに大通りを渡ると宅配センターの中の人の動きが目にとまった。“浅草酉の市”と書かれた大きな段ボール箱、次々と詰められる熊手…。「これだあ」とばかりに段ボール箱を手に入れた。酉の市の江戸文字、相撲の巡業行李のような形、箱の横から出た熊手の柄は飛脚便の風情。なかなかやるではないか、佐川急便さん!我が家へ辿り着いた時はもはや夕暮れ、へとへと。さっそく一献を頂く。 こっぱずかしい思いもしたけど、本家詣での念願がかなった。 いやあ〜、なんともはや良き三の酉だったこと。 来る年には、熊手で『開運招福』をかき集め、いっぱい酉の市箱へおさめよう。 筑紫哲也氏が亡くなった。 今日の夕方、何気なく眺めていたテレビのテロップに「筑紫哲也氏、死去」文字が流れた。 ハッとした。「大切な何かが、静かに“消滅”した」と即座に感じた。 テレビに彼が出てから20年余り、当初から日常生活の中にあり続けていた存在、考えるもなく普段に呼吸する空気のようなもの、だったのだろう。 それくらい、無条件に溶け込んでいた彼の存在と発言の数々…。 やがてそれは、見えなくなりスウーっと消滅した。 自分であり続けることを、忽せにしなかった彼の生き様。 ジャーナリストという枠組みを遙かに超えて、人様の在りよう、というものをいつも明快に示してくれた。 そのひとつは「知的文化」だった、と思う。 《私が驚かされたのは…「文化の位置」であった。…最大のものはその社会と人々の中に占める文化の比重だと私は思う。…もし私たちの国が滅びるとすれば主因もそこに帰する。》 ※部分引用『筑紫哲也の「世・世・世」Ⅰ』沖縄タイムス社刊 世界が激動の渦中にある昨今(いや今や、人々の心の中では、すでに変化が始まっている)、瞬時にして徒手空拳たらざるを得なくなってしまいそうな自分がどこかにいることを、この消滅の瞬間に感じている。 ■■■■ ■■■■ 静かなる消滅、静かに合掌。 ■■■■ 前のページ次のページ
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