|
カテゴリ
以前の記事
2009年 06月
2009年 05月 2009年 03月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 01月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 お気に入りブログ
最新のコメント
|
15日間にわたった“お勤め”を終え、無事放免となった僕はオートバイ置き場へ急いだ。
今回もまた相棒をつとめてくれたスクーターにまたがり、エンジンキーを回した。 待ってましたとばかりにエンジンの心地よい音が響き渡った。 いざ、我が家へ帰ろう!連れあいは荷物を持って先にタクシーで門を出た。僕もその後へ続く。 わずか10m程で交差点、左折のウインカーを出し曲がろうとしたが、正面から右折のタクシーが来た。曲がりかけた途中で止まっていると、信号は赤に変わってしまった。 いかんせん中途半端、しかし久しぶりなので安全第一。そのままの態勢で待つことにした。 すぐ横には、なんと残念なことに交番がある。 チラッと目をやると、いやあ〜!立ち上がりましたね、若い警官が! そして外にでてきましたね、赤い警告棒燈を試し振りするかのような仕草をしながら! 歩行者信号が変わり、斜め横の信号が青に。この後我が車線が青になるはず。 スックと背筋を伸ばした若い警官は、道路脇へと進み、二度三度警告棒燈をたたいている。 嬉しそうな表情を隠そうともせず、ワクワク感いっぱいの顔つきだ。 「来るな!いよいよ!」信号が青に変わった。発進する。 「はい、そこのスクーター、停車して!」涼しげな顔で凛として言う。 警告棒燈が振られる。もう後は想像通りだ。 「はい、免許証見せて」「どこ行くの」… 「いやあ、退院で家に帰るところです」 「どこの病院?」「すぐ後ろの病院ですよ」「あ、そう」 とってつけたように「シルバーのスクーターでひったくりがあってね」 言い終わると若い警官は満足顔で交番の中へ戻っていった。 てな訳で、娑婆復帰の最初の明かりは、警告棒燈の赤い光りだったのですよ。
ゴールデンウイークたけなわの五月四日、思いたつところあって旅に出た。
釣り竿と写生道具おのおの一式、それに買ったばかりのデジタル一眼レフを携えての旅。 目指すはもちろん沖縄!だ。 三泊四日、交通費から宿泊費まですべて含めて二人で五万円! もちろんパック旅行ではない。自分たちの計画にあわせた旅である。 信じられないほどの超格安の旅。偶然に偶然が重なりGW最中の旅立ち。 これもひとえに、日頃のおこないのせいだろうか!? ただひとつだけ、大きなハンディがあった。 無養生が災いしたのか、歳のせいなのか、動悸・息切れで歩行がままならぬのだ。 500m程歩いてひと休み、また500m歩いてはひと休み、この繰り返し。 旅行荷物も、ザックをキャスターに縛り付けて引いてゆくお粗末ブリ。 それでも、沖縄の旅ができたのだ!! まずは我が家の玄関口からタクシーに乗って、池袋のプリンスホテル前へ。ロビーで待ち羽田空港行きのリムジンバスへ。空港に着くと出発口が目の前に。搭乗手続きを済ませて飛行機の中へ。ここが一番歩いたところで息切れした。 着いたところは沖縄・那覇空港。“動く歩道”を使って外へでる。再びキャスターを引きずりモノレールの駅へ。ここも距離があったな、ベンチぐらい配置しておけよ!駅からエレベーターで地上に降りて、タクシーで宿の玄関口へ到着。 ちなみに500mはほぼ1千歩、我が家から沖縄の宿までおよそ三千歩!! 骨皮筋ェ門の我が輩、無事に沖縄の人となったのである。 四日間の宿は「沖縄船員会館」もちろん同じ部屋に連泊だ。宿賃は一泊三千円ちょいの我らご愛用の宿。 窓のすぐ前は泊港、汽笛の音で目覚め、窓から海を眺めては日永を過ごし、卓袱台を出しスーパーで買ってきたお総菜を並べて、汽笛を聞きながら夜の宴会へ。我らは外食・外飲ができないので、これで十分・大満足だ。 かくして沖縄・那覇の第一夜が更けていったのである。 ![]() 翌日からは、宿の前でタクシーを拾い、美術館やら本屋やら訪ねたかった場所へ直行。沖縄のタクシーは初乗り450円、ちょっと歩いているだけでタクシーがすり寄ってくる。ちょっとの距離でも快く行ってくれるので、沖縄のオバーたちはこれを愛用。我らもおおいにその恩恵にあずかった訳である。 昼間はもっぱら公園の木陰の芝生に寝転がり読書三昧。 昼ご飯や早めの夕ご飯は、やっぱり公園の芝生のうえで。スーパーで買ってきたビールや出来たて・ホカホカの総菜を並べて頂く。それはもうピクニック気分。 帰りもまたタクシーで宿の真ん前へ。宿が中心街近くなので、ほとんどが初乗り料金+αで済んでしまうのだ。 大快晴のお天気のなか、爽やかな海風に吹かれて過ごした沖縄の四日間。 防波堤で眺めた花火大会、中を見学させて貰った20人乗りの素晴らしいクルーズ船、稀有な書籍をたくさん購入できた本屋巡り、無事と感謝を祈ることのできたボクの聖地…。なんと心豊かな旅だったことか。 こうして、片道三千歩で往き来できた沖縄の旅が終わった。 もちろん、またゆくぞ〜!! ![]()
開かずの踏切、変わらずの放浪者ブログ?!
これまた同じく、何をしたでもなく、漫然として四月が終わった。 そして五月の連休、かつては大勢の仲間達とバイクを繰った季節だ。 ここ数年は加齢休業。澄みわたった都心の空を眺めつつ、「ああ、東京は地方出身者によって動いている街だ」としみじみ思う日々。 金無し、暇あり、体力無しの、無精三本立てゆえ、もっぱら読書に励む。 先月は6冊を読破した。もちろん硬軟・強弱・遅速を織り交ぜてのことだ。 ◎ぐいぐい読んだ本 『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』 佐野眞一・集英社 (分厚い書籍も関わらず一気通読。ありきたりの沖縄論など蹴散らされてしまうのが痛快。そうだ!そうだ!となんどうなずいたことか。佐野眞一らしい入念な取材に裏打ちされてこその展開、凄い数の巻末の主要参考文献が希少価値あり。それにしても佐野眞一のドキュメントはどれをとってもいいな。) 『獄中記』 佐藤優・岩波現代文庫 (ボクは引っ掛かりのあるテーマや作者の本を。片っ端から読んでゆく、というパラノイア的偏向癖がある。佐藤優の書いた本はこれで6冊目、対向読みや穿ち読みを含めて、どの本も考えさせられる指摘にあふれていた。とりわけ現代日本の政治権力抗争についての記述は、これはちと考え直さねば、との含蓄に富んでいる。と同時に、この本に限って言えば、著者がふれる数々の書物や拘置所内での過ごし方や気分の移などが、遠い昔の自分と重なりあうところがあって、おおいに発奮させられた。本棚にある古い本を引っ張り出してきて、もっともっと読み返さなくてはいかんなあ〜。) 『Op.ローズダスト 上・中・下巻』 福井晴敏・文藝春秋文庫 (彼の本はほとんどを読んでいるが、この3冊は文庫化をきっかけにして、一気に再読した。なにしろ巧い!文章力・発想力・構成力、とりわけ文章展開の上手さには惚れ惚れする。的確な語彙でぐいぐいと書き及んでゆく手際は氏の独壇場。ローズダストという7人の若いテロリストを基軸に、警察・自衛隊・政治家・経済人が絡みあってゆくストーリーだが、日本の権力装置と情報戦への言及が心憎いほど散りばめられている。フィクションにもかかわらず“そう言えば”と随所で思わず膝を打つのもうっぷん晴らしか。) ◎サクサクと読んだ本 『権力の影』 ジェームス・パーロフ・徳間書店 (いわゆる国際陰謀の暴露本か、とおもいつつ読んだ。ところがどっこい、世界同時不況に揺れる今日を読み明かすヒントがいっぱい。アメリカの世界操作力をCFR=アメリカ外交評議会を軸にして展開される内容は、現代世界政治とは何かの一端を感じさせてくれた。) 『高城高全集4 風の岬』 高城高・全4巻・創元推理文庫 (最初は表紙カバーの写真に惹かれて購入してみたのだが、とうとう4巻目。ハードボイルドファンの間ではよく知られた作者だそうだ。どの巻・どの物語も面白い。昭和30年代〜40年代の作品は、いずれも小気味よい文章・文体でぐいぐい引き込まれてゆく。時代背景など古さを感じさせることもなく、じつに爽快な気分転換をもたらしてくれた本だ。) 『スクランブル 要撃の妖精』 夏見正隆・徳間文庫 (ボクは飛行機プラモデルが大好き。よって飛行機が主題の本にはついつい手がでる。本書は以前読んだシリーズ本の二冊目だ。うん、やっぱり面白い。何も考えずすらすらと読んでゆける。航空機・イーグルや航空戦の描写は迫力満点。読後、ついついプラモデルも買ってしまった。) こうして毎日読書三昧、乱読三昧。よお〜し、もう一冊ゆくか!
…自動車の警笛が数度、鳴らされるのが聞こえてきた。
おそらく今が11時半なのだろう。母が電話で何度も念をおしていた時刻だ。 家財道具を送りだしがらんとした家の外へ出た。白い坂道が続いていた。 食べた後に播き捨てられた貝殻が、道一面を被っているせいだ。 歩く度に砕かれた貝殻は、ジャリッジャリッと音をさせた。 僕は、後ろは向かないことに決めていた。 坂道のてっぺんに、黒い自動車がドアをあけたまま止まっていた。 ぼってりとしたダットサン型、その形が妙によそよそしく見えた。 坂道を上りながら、母と三人の子供は手を繋いだ。そして自動車に乗り込んだ。 その自動車は、生まれて初めて乗るタクシーだった。 発車してから駅までの間、僕はずっと横窓から街を眺め続けた。そして大牟田駅についた。 すべてがスローモーションのように思えていた。 鹿児島本線大牟田駅、午後1時15分。「はやぶさ」が動き出した。 「とうとう抜け出せるんだ」憑かれたように僕は呟き続けた。 小学校6年3学期、僕ら一家は「はやぶさ」という列車で、大牟田を、そして九州を出た。 「はやぶさ」は東京へ向かっていた。目指すのは、やがて住む千葉県のM市だった。… それはもう何十年も昔のことだ。 しかし、つい昨日のことのようにハッキリと覚えている。 僕を連れ出してくれた寝台特急「はやぶさ」。その運行が、今日で終わるという。 最終便が今、岡山あたりを走っている、と先ほどのニュースで言っていた。 この事態をきっかけとして、僕の中に幾許かの思い出が蘇ってきたわけである。 「はやぶさ」ファイナル、ごきげんよう!
一月もあっという間に終わりだ。
つい先日、自分のそばに居てくれる人たちの有難味を身に沁みて感じつつ、誕生日を迎えた。一年以上に渡って続いた苦い闘いにも終止符が打てた。しんたいてきじょうきょうもに対しての覚悟もほぼ出来上がった……。 わずか一ヶ月の間の変化は、いかんとも大きいものだ。 これが営みの時間なのだろうか?! さらに、月末の今日、購読新聞を変えた。 15年以上に渡って読み続けた日経新聞の購読を止めたのだ。 併読していた朝日新聞が「スポーツアサヒ」化してゆき、まず止めた。 日経新聞は、記事扱いのオーソドックスな公平さと、文化欄の質の高さに惹かれ読み続けてきた。それ故止めるのはいささか残念でもある。 原因は簡単なことだ。今日、朝刊が届いていなかった。 販売店に「夕刊と一緒でいいから届けて」と伝えた。 夕刊が届いた時、朝刊はまた無かった。また販売店に電話した。 チーフと名乗る同じ人が出た。「配達員が戻ってきたら、届けさせますから」と言った。 普通だったら「いや、私がこれから届けますから」と最初の電話で言うはずだろう。「申し訳ありません、すぐに私が持ってゆきます」と二度目の電話で言うはずだろう。 なんとも横柄ともいえる対応、色褪せた商品を店先に並べる、傷んだ商品を平気で渡す……、それでも対応は“売ってやる”そのものなのだ。 こうした傾向は、私の生活する文京区内の商店にほぼ共通して顕著に感じられる。私はこれを「文京商売」と呼んでいる。 おっと、話題が逸れた。新聞の話なのだ。 次に購読するのは「東京新聞」である。 ある年齢層の方は記憶にあると思うが、同紙が素晴らしい記事を書き続けていた時期があった。その伝統はささやかであるが、今でも脈々と続いているようだ。センセーショナルではなくオーソドックスで公平な報道記事の扱い、平凡を排しこだわりのある文化欄……。だから「東京新聞」に決めたのだ。しばらく付き合ってみよう。 沖縄支局ができ、沖縄の記事が増えた日経新聞には未練たらたら、ではあるが。 親しい友人から沖縄の野菜が山ほど届いた。また行くぞ、沖縄。待ってろよォ〜。 ![]()
|
おすすめキーワード(PR)
ファン
|